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実家の部屋片付けで、親の心の声に気付く

片付け豆知識 2017.01.31 Tue

老夫婦

人は高齢になるにつれ子供に返ると言われています。

高齢になると記憶が曖昧になり、認知症ともなると子供返りどころか赤ちゃん返りまでさかのぼるようです。
 
 
認知症の人が街を徘徊してしまうのは、はるか昔の楽しかった記憶を辿って歩いているという話を聞いたことがあります。

医学的に解明は出来ていないようですが、最近の記憶は脳内の浅い部分で記憶され、昔の記憶は脳内の深い部分で記憶されるからという説。

高齢になり脳が委縮し、浅い部分の記憶が欠如するため、深い部分の記憶が出てきて子供帰りするということなのでしょう。
 
 

赤ちゃんや子供が可愛いのは、生きて行くための本能

赤ちゃん

あくまで一般的にですが、私たちは赤ちゃんや子供を「可愛い」と感じます。

この可愛いというのは「無力な赤ちゃんや子供を外敵から守る」という親の本能であり、「この子を守ってあげたい」ということに直結しています。

大人が子供を守らなければ、赤ちゃんや子供が外敵の標的になるのは明らかであり、大人に守ってもらうことでしか赤ちゃんや子供は生き延びられないのです。

これは「子孫繁栄」という動物界の共通した本能であり、特に人類に限った話ではありません。
 
 

高齢者が楽しい日常を過ごすには?

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肉体的に弱い立場である高齢者の生活にも、実は同じことが言えるのではないでしょうか?

子供は昨日出来なかったことが、今日出来たりします。一方で高齢者は昨日出来たことが、今日出来なかったりします。

特に80歳以上ともなると色々な可能性を失って行く年齢であり、自分から自発的に何かを求め行動することが出来なくなって行く年齢でもあります。
 
 
私たちは日常生活で少なからず何かを楽しみに生きています。何かを楽しむために生きていると言った方が良いかも知れません。

孫の顔が見たい。友人にあってお茶を楽しみたい。旅行に行きたい。趣味に没頭したい・・・色々な楽しみを自力で行動に移すことが難しくなって来ますよね。

高齢になるにつれ足腰が弱くなり、ちょっとした行動でも制限がかかります。

あれも駄目、これも駄目。ただ安全に自宅で過ごすだけ。これでは楽しい日常生活は全く過ごせません。

でも周りの理解と支援、思いやりのある行動によっては、本来の目的を達成することだって出来ます。

肉体的に強い人、エネルギーのある人に日常の楽しみを守ってもらう。日常生活を守ってもらう。

その第一歩として、まずは「会いたい人に来てもらう」ということです。
 
 

高齢者の部屋片付けは、人が集まりやすい部屋作りを目指すべき

囲碁

お孫さんに会いたいのであれば、お孫さんに来てもらう。ご友人とお茶を楽しみたいのであれば、ご友人を招けるように用意する。

ある種の「集会場」のような部屋作りをする。何かの「話題性」がある部屋にする。これが大事であり、思いやりです。
 
 
ここで言う話題性というのは、実はとても大切なポイントになります。

近隣のご友人は、ご本人同様に皆高齢者だったりしますよね。そうすると趣味志向が類似しているわけです。

昭和を感じさせる部屋、古き良きを感じさせる部屋。趣味の部屋をしっかり作るのも良いかも知れません。

共通の話題が生まれそうな部屋にすることで、自然と楽しい時間を共有することが出来るのです。
 
 
ご自身が充実した時間を過ごせるというのもありますが、人が集まれば孤独や孤立を防ぐというメリットもあります。

仮にホームヘルパー等を頼むにしても、やはりホームヘルパーが関わりやすい部屋にすることは重要でしょう。
 
 

親を支援したくなる気持ちとは?

日本の老夫婦

「子供叱るな来た道だもの 年寄り笑うな行く道だもの」という言葉があります。永六輔さんの言葉だったでしょうか・・・。

つまり人間は必ず老人になりますし、高齢者が支援されながら生活するいうことは当然のことなのでしょう。

ただし支援する側にしても感情はあり、この赤ちゃんや子供の持つ「可愛い」に代わる何かがないと、やはり行動には移さないわけです。

ご家族やご親族が高齢者を支援しようという気持ちになるのは、高齢者への感謝であり、情であり、モラルなのかも知れません。

特に親が支援される側になった場合は、より一層その感情が強く働くことでしょう。自分の親だからこそですね。

この感謝・情・モラルに「可愛げがある」ということが加わると非常に良いのですが、事情や人間性は人それぞれであり、全ての高齢者が可愛げがあるわけではありません。

高齢者は頑固でありプライドも高く、理解を得られず助言や支援を拒まれる。

特に実家の片付けに関してはこの傾向が強く、なかなかスムーズに行きませんしご家族の方が疲弊してしまいます。
 
 

親を放っておいたという自責の念

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まず高齢になった親自身が、「弱くなった自分」「周囲に世話になっている自分」「自立出来ていない自分」を受け入れることが出来ません。

人生を強く生き抜いて来た人であれば尚更、プライドが邪魔してしまい若い世代の助言に耳をかしませんね。

現代の社会は色々な意味で全く余裕が持てないため、ご家族においても親を近い距離でしっかりと支援する余裕はありません。

核家族はこういう現状を促進し、「気が付いたら実家がゴミ屋敷になっていた」という状態を生み出してしまいます。
 
 
実家がゴミ屋敷になってしまった場合、ご家族としては「両親が何故片付けられないのか?」「両親が何故捨てられないのか?」で悩むと思います。

それと同時に「ゴミ屋敷化していることに気付かなかった自分」「そうなるまで親を放っておいた自分」「いつまでも親が強いと思っていた自分」を責めてしまうこともあるでしょう。

ゴミ屋敷は近隣に迷惑がかかるということもあるので、早急に家族で片付けようとするも、その住人である親はそれを拒み続ける・・・そうして家族が追えば追うほど、本人は逃げて行くという負のスパイラルに陥ります。

これで可愛げがあるという気持ちとは程遠い「確執」が生まれ、それでも親を心配する気持ちは捨てきれず・・・そんな状態に深く悩み続けます。
 
 

「先生」の言うことをよく聞く高齢者

学校

どうしたら歩み寄ることが出来るのか?

非常に難しい問題ですが、ここで少し考え方を変えてみましょう。

高齢者は「先生」と呼ばれる人の意見をよく聞く傾向にあります。

実際に先生のアドバイス通りに行動するかは分かりませんが、とりあえず先生の話はしっかり聞ききますし、逆に話を聞いてもらいたいのです。
 
 
現代は様々な情報で溢れかえっており、若い世代は何が正しいのかを自分で見極めないといけない世代ですよね。

ただ昭和を生き抜いた人、特に昭和初期で戦争経験者の人たちは、目上の人や先生の言うことを重んじています。

自分にとって何が正しいかを自分で見極めるというより、先生に言われたことをその通りにやってれば間違いないと考える世代なのかもしれません。

実際に家族の助言には全く耳を貸さない親が、私(プロ)の話には心を開いて聞いてくれることもあるぐらいです。

もちろんプロですから経験豊富ですし、メリット・デメリット・事例なども交えながら話すので説得力はあるのでしょうが、ここでは「プロの話は聞いてくれるという事実」が重要になります。
 
 

家族の影響力が発揮されるのは今じゃない

家族

では、家族の助言は全く説得力がないのか?

そんなことないと思います。ただ説得力が発揮されるのは、今ではないかなとも思いますね。説得力というより家族の影響力、家族の絆でしょうか。

親だってきっと家族に喜んでもらいたいはずなのですが、人の世話にはなりたくないのと、綺麗な部屋での生活が想像できないのです。
 
 
プロの説得に促され、試しに1つの部屋、1つの部分だけでも片付けてみると、意外にも次々と片付けてくれることがあります。

おそらく自分の部屋や暮らしが綺麗になるのを想像できたのでしょう。また家族が喜ぶので、自分も嬉しい。

やはり色々と否定的なことを言われるよりは、褒められたり楽しい話で盛り上がった時の方が前向きになれますよね。
 
 
生活ゴミの処分に感情や思い出は入らないので、ここは効率重視でプロに任せます。

しかし昔の写真や思い出の品々は、ご家族でしか判断できません。ここでご家族の言葉が親の心に響くのです。

忘れていた思い出に一喜一憂するも良し、昔話を頷きながら聞くも良し、記念品を部屋に飾るも良しです。

人生を振り返るには充分すぎる品々がありますし、家族が家族として向き合う最高の機会です。
 
 

本当に必要なことは、片付け術ではなく心の気付き

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ご家族だからこそ出来ることがあり、ご家族だからこそ気付くことがあります。

少しづつ思い出話を始める親の姿、意固地になっていた親の心が解け始めていること。

これらの変化に気付いたのであれば、もうお互い向き合っているはずです。そこに確執はありません。
 
 
そしてもう1つ気付くことがあります。

「本当は寂しかったのかな」という気持ち。

私たちに比べて、高齢者である親の余生は短い。だからこそ、今できる心の会話を大切にして下さい。

それが出来るのは家族だけです。